コラム第856号:「不正行為の原因論と機会論~割れ窓理論(Broken Windows Theory)の引用可能版」
第856号コラム:佐藤 慶浩 理事(オフィス四々十六 代表)
題:「不正行為の原因論と機会論~割れ窓理論(Broken Windows Theory)の引用可能版」
IDFコラム828号「日本の個人情報保護と米国のプライバシー尊重の違い」で「割れ窓理論」について触れ、機会があれば具体的な内容を紹介することにしていましたので、今回は、それについて紹介します。
組織におけるガバナンス構築の基礎となるのは、定められたルールを全員が順守する意識を持っていることですが、全員に順守の意識があっても、ルールへの違反は実際には起こり得ます。その要因は、「善意による違反」などいくつかありますが、そのうちのひとつに「違反障壁の低下」というものがあります。これは「割れ窓理論(Broken Windows Theory)」と言われています。
「割れ窓」は、ジェームス・ウィルソンとジョージ・ケリングが、米国の月刊誌Atlantic Monthlyに、街の治安維持と警察の役割について1982年に寄稿した論説文の表題にしたことで広く知られるようになりました。Atlantic誌には、その後も近年まで、たびたび割れ窓理論に関する寄稿がありますが、今回は、周知の発端となった1982年3月号に掲載された「割れ窓~警察と町内防犯(Broken Windows – The police and neighborhood safety)」の内容について紹介します。
原文のアーカイブは、以下のウェブサイトに掲載されています。
https://www.theatlantic.com/magazine/archive/1982/03/broken-windows/304465/
なお、日本語で読みたい場合には、後にケリングが出版した書籍の邦訳本が出版されています。
「割れ窓理論による犯罪防止―コミュニティの安全をどう確保するか」
(文化書房博文社出版 G.L.ケリング,C.M.コールズ 著,小宮信夫 訳)
◎ 割れ窓の実験
この論説文では、スタンフォード大学の心理学者フィリップ・ジンバルドーが1969年に行なった以下のような実験を紹介しています。
実験は、街の一角に自動車を放置するとどうなるかということを2台の自動車を使って検証しています。
まず、ある街の一角に一台目の自動車のボンネットを開いたまま放置したところ、10分しないうちに襲われラジエーターやバッテリーなどの部品が盗まれ、24時間以内に窓ガラスは割られてしまい、内装品もすべて盗み去られました。
次に、別の街の一角に二台目の自動車のボンネットを閉じたまま普通の状態で放置したところ、1週間以上何も起こりませんでした。そこで、何も起こらなかった自動車の窓ガラスの一部を割って放置を続けたところ、すぐに、一台目の自動車のように破壊と盗難が起こりました。
ジンバルドーは、二台目で起こった変化に着目しています。二台目の自動車の窓ガラスを割る前と後で住民は変わっていないため、窓ガラスを割ってから人が破壊や盗みをするようになったのには、心理的変化があったと考えました。車の窓が割れた状態を放置すると、その車について所有者がおらず、窓が割れていることに関心を持っている他者もいないと思い、それならば、その車に対して何をしても、誰からもとがめられないと思い始めるという心理的な変化によって破壊や盗難が起こるのだと分析しました。
◎ 共同体の障壁
ひとつの窓が割れた状態を放置してしまうと、やがてすべての窓を割る人が増えるというジンバルドーの分析結果から、ウィルソンとケリングは、「共同体の障壁(相互尊重の意識と礼節の義務)が低くなれば、破壊行為はどこでも起こりうる。」と考察しています。
つまり、窓を割りたい人達ばかりが住む街と、窓を割りたくない人達ばかりが住む街が存在するわけではなく、どの街でも、割れた窓を放置すれば、窓が割られやすくなるものだとしています。共同体の障壁とは、他の人が窓を割らない状況で、自分が窓を割ることに対する「ためらい」のことです。割れた窓の放置は、そのためらいを下げてしまうと結論づけたのです。
この論説文は、街の治安維持に関するものなので、軽犯罪を放置すると殺人や強盗といった重要犯罪(重大犯罪)につながるため、軽犯罪を取り締まることも、しいては重要犯罪の予防につながるので有意義であるとしています。軽犯罪を犯すためらいが下がると、より重い犯罪へのためらいも下がり、やがては重要犯罪へのためらいが薄れていくという連鎖を断ち切れば、重要犯罪の発生を抑えられると考えたわけです。論説文では、違法となる軽犯罪ばかりではなく、公共の場所での飲酒や喫煙をすべきではないといった(論説文が執筆された当時は)違法とはならない行為についても、警察は関心を持つべきだとしています。
このように、割れ窓理論とは、小さな違反を放置すると、やがて大きな違反につながるので、小さな違反を防止することは、大きな違反の抑止に役立つということを示唆したものです。
◎ 原因論と機会論
この理論をもとに、街頭での犯罪の予防策を考えると、強盗をなくすことを直接考えるよりも、「落書きやゴミのポイ捨てを放置しない。」という活動が具体的であるということになり、実行しやすいことに思えます。このことは、原因論から機会論への移行と言われています。強盗をする原因とその原因の排除だけを考えるよりも、強盗をするためらいが下がることで強盗をしてしまう機会を排除することも考えた対策が犯罪の抑止に有効であるという考えです。
割れ窓理論とそこから得られた考察は、会社や組織でルールを順守するときにも通じるものがあります。
情報管理での重大な不正行為が起きてしまった会社は、ルールを破りたくてしょうがない人達ばかりが勤める会社だったのでしょうか?そして、不正行為が起きていない会社は、ルールを守ることが大好きな人達ばかりが勤める会社なのでしょうか?割れ窓理論によれば、そうではなく、どの会社でも重大な不正行為が起きる可能性はあるということになります。そして、その予防策は、原因論だけでなく機会論にも目を向けて、軽微なルール違反を放置しないことが役立ちます。
◎ コミュニケーションと信頼関係
また、割れ窓理論が紹介されるときに、軽犯罪の予防が重要犯罪の抑止に役立つという部分だけが取り上げられることがあります。しかし、この論説文の表題は割れ窓ですが、全10ページの論説文の中で割れ窓のことは、前振りとして半ページ触れているだけです。論説文の大半では、軽微な違反をとがめるためには、住民同士のコミュニケーションや住民と警察官の信頼関係が重要であることについて提言しています。
これを会社に置き換えると、住民同士というのは社員同士のことであり、警察というのは管理部門や監査部門のことに置き換えられます。従って、社員同士のコミュニケーションや社員と管理部門との信頼関係が重要であると読み替えることができます。
情報管理での重大な不正行為の例としては、機密情報の多量流出があるでしょう。それでは、軽微な不正行為とは少量な流出ということでしょうか。もちろん、それも含まれますが、情報管理のルールという意味では、たとえば、身分証を常に掲示しなければならないとか、離席時には使用中のパソコンの画面をロックするといったことも含まれます。
身分証を首から吊り下げていないことが、機密情報の多量流出につながるのか?と思うかもしれませんが、割れ窓理論によれば、身分証を首から下げるというルールを軽視することが、より重要なルールを軽視することになり、やがて、機密情報を多量に持ち出すような重大な違反へのためらいを下げてしまうということになるのです。
さきほど、街頭の犯罪予防策について触れましたが、それに置き換えるなら、「身分証を首から下げていない人がいないようにする。」という活動の方が日々の取り組みとしては具体的だということになります。
なぜなら、割れ窓理論では、違反が放置されることで、違反への周囲の関心がないことが知れ渡り、その結果として、違反へのためらいが下がってしまうとしています。そのため、予防策として重要なのは、身分証の掲示というルールを周知・啓発することに加えて、それに違反している人を放置せず、違反がない状態にすることになります。
顔見知りの同僚が身分証を着けていないのを見て、あれは同僚だから構わないというのではなく、着けることがルールであれば、同僚にも身分証を着けさせることが、違反を放置しないということになります。一般的には、軽微なルールの違反は、管理者が見つけ出すというよりも、同僚が互いに気づくことの方が多くなります。そのため、同僚が互いにそれを注意しあえるようにする環境作りが必要になります。
実際には、同僚で顔なじみである程に、そのような些細なことを注意することを躊躇してしまうかもしれません。「そんなこと言ったら、あいつ、うざい。」って思われやしないだろうかと考えてしまうかもしれません。しかし、それをしなければ、違反が放置されてしまいます。
もしも、そのような躊躇がある職場だとすると、既に違反が放置されている会社になってしまっている可能性が高いです。その場合には、会社は能動的に環境を改善しなければなりません。ルール違反に気付いた人は、違反している人に、声をかけるようにする。声をかけられた人は、声をかけた人を煩わしいと思うのではなく、ルールを再認識させてくれてありがとうと思えるような、ぎくしゃくしない人間関係を根付かせる必要があります。
◎ ルール順守の習慣化
このようにするためには、講師がルールを受講者に説明するような一方的な教育で改善を促すことはできません。どちらかというと道徳の授業(近年の小中学校でいう「特別の教科」)のようにして社員同士で考えてもらいながら根付かせていくのが効果的です。道徳の授業で「いじめ」について意見交換をするのと同じように、まずは当事者としての話しではなく、仮定した状況を第三者的に考えるところから始めるのが、議論しやすいでしょう。仮の話しとして、違反を見逃すことの是非を一緒に考えてもらう中で、違反を指摘された人が心地よいものではないだけではなく、違反を指摘する人の気苦労にも気付いてもらい、自分が両者のどちらにもなり得ることを理解してもらいます。その上で、今後どうあるべきかの議論をすることで、指摘された人が「あー、うっかりしていた。教えてくれてありがとう。」と言えるような環境への改善につなげることができるでしょう。
いまいちど、自分の職場を見回してみましょう。身分証を掲示していない同僚、離席時にパソコン画面をロックしていない同僚、機密情報の資料に会社が定めた「機密」の指定を明記していない同僚などはいないでしょうか?もしも、そのような同僚を見かけたことがあれば、ルールを守っていない同僚はもちろん悪いですが、そのことに気付いたのに注意しなかった人達の行動は、会社にとってより深刻な問題なのです。
軽微な違反を指摘しあえるということは、全員がルールについて関心を持っている環境ということになります。仮に違反が起こらなければ、指摘することはなくなりますが、違反がないということを全員が意識していればそれで構いません。そのような関心や意識があることにより、ルールを順守することが習慣となって定着することになります。
◎ 違反について声をかけあえる環境作り
私は、組織におけるガバナンス構築の基礎として、「ルール順守の習慣化と違反について声をかけあえる環境作り」が必要だと考えています。違反を指摘する環境とは、違反を許容しているということになってしまうのでしょうか?身分証を掲示していない人を見かけて注意したら、管理部門にルール違反として報告するべきなのでしょうか?それらについては、その答えをここで知るよりも、道徳の時間に話し合って答えを参加者同士で導き出すことが組織にとって有益です。その話し合いの司会進行が不安でしたら・・・ご用命を承っていますのでお見積りについてご相談ください。(笑
なお、「割れ窓理論」は有名な理論であるにもかかわらず、今回紹介した論説文が直接引用されることは少ないようです。それは論説文中で取り上げられているジンバルドーの1969年の実験報告内容が現代においては差別的表現となることが多いからかもしれません。仮に「罪を犯しやすい人、たとえば、○○人」という書き方であれば、「たとえば、○○人」という例示だけを省いてギリギリ引用ができるのですが、単に「○○人」と具体的な街名や人種を書いている箇所もあるために、直接引用すると「○○人は、罪を犯しやすい人」と引用者が解釈したことになりかねないため引用しづらいように思います。本稿では、論説文に書かれている街名や人種名を書かずに、「ある街」などと書き換えました。
【著作権は、佐藤氏に属します】